自分探しの旅

よく両親や祖父母に顔や体格が似ていたり、習性や特技を受け継いでいたりする。

今の科学で言えば、遺伝子情報であるDNAを受け継いでいるのだから当然のことである。

良いものも悪いものも引き継ぐようになる。

両親や祖父母から引き継ぐのなら、その前の曽祖父母や更に前の先祖からもいろいろと引き継いでいると考えるのが妥当であろう。

両親は2人、祖父母は4人、曽祖父母は8人、高祖父母は16人、その前は32人と、倍々で先祖は増えていく。

10代遡れば、先祖は1,024人だ。

20代遡ると、先祖は1,048,576人で、ついに100万人を超えてしまう。

100万人というと、北九州市と同じくらいの人数だ。

もっと遡ると、天文学的な数字になってしまう。

このような数字だけを見ると、私達日本人、いや人類はどこかで繋がっているとも思え、また、私にとっては、“人類みな兄弟”という言葉も説得力を増すのである。

それだけの数の先祖の中には、様々な人格を持った人や、様々な特技や技能を持った人もいたわけで、これら全てのDNAを受け継いでいるとすれば、私達は生まれながらにしてあらゆる可能性を持っていると考えられるのだ。

よって、人によっては何か突出したものはあれど、誰もが基本性能は同じだと思う。

人によって能力に差があるように見えるのは、基本性能の差ではない。

持っているものをどれだけ使っているかの差だ。

どれだけ使えるかは、鍛練や経験にもよるのだろう。

生きている間に、自分の持っているものをどれだけ使えるかは分からないが、どうせなら多く使わないと損だ。

多く使えば、人生はより豊かになる。

そして、自分の人生において乗り越えられないものはなくなるだろう。

自分の持っているものを探し、使いこなすこと。

つまり、自分の無限の可能性を探ること。

それが、私にとっての“自分探しの旅”である。

 

 

 

 


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