「今季2回目となる漢中水泳を行った。漢中水泳を行う者は、アホの末と変態小野、そして私を含めた3人。過去最少の人数だが、あることがあって私にとっては忘れられない漢中水泳となった。

それは・・。

写真撮影係の物体Nが急遽欠席となったので、私が写真撮影係を兼ねた。海に入る前に写真を撮った。この時はまだ大丈夫だった。

海から上がり、アホの末の要求に応えて、こいつが一人で海に入っている写真を撮ろうとした時のことだ。それまで動いていたカメラがいきなり動かなくなったのだ。

それも、こいつを撮ろうとした瞬間にだ。復帰を試みようと電源ボタンを何度押してもカメラが作動することはなかった。

その状態は、2時間ばかり続いたが、何故かアホの末と別れて家に帰った途端にカメラは作動した。「今までのカメラがフリーズした状態は一体何だったのだ?」と、疑問に思いながらも、私には思い当たる節があった。

アホの末からは昨年末ぐらいから聞いていたのだが。

これまでのこいつからは考えられないような体調不良や肩の異常など、この半年ぐらいは散々な思いをしたらしい。仕事が忙しいとか、不運な目に遭ったとかいうぐらいなら、こいつの“日頃の行いが悪い”ということで済ませる。

だが、こいつの話から判断すると、どうもそんなレベルではないように思える。事が事だけに、さすがの私もこいつの不幸を笑うことは出来なかった。

そういえば、神仏を全く信じないこいつが、しきりに出雲大社に行きたがっていたことも気になる。

5月の当初予定していた〝しまなみ街道〟での自転車ツーリングが、出雲20ヶ所巡礼になったのも、こいつの強い要望によるものだ。

そんなに無性に出雲大社に行きたがる理由は、ここ数ヶ月の不幸な出来事によるものだろう。人は、自分のことがどうにも思うようにならなくなった時は、何かにすがりたくなるものだ。

ようやく、“何かにすがりたい!”という人間らしい感情をこいつが持てたことを嬉しく思う反面、そこまでこいつが追いつめられていたのかと考えると、ほんの僅かばかりではあるが、可哀想に思えた。

漢中水泳は、神事であり、我々にとっては、穢れを祓う禊でもある。今回、その恩恵を一番受けたのは、間違いなくアホの末である。

でも、このくらいのことでこいつの罪や穢れが祓えるわけではない。完全にそれらのものを祓うには、日頃の行いや考えを改めることは勿論、こいつの行きたがっている出雲大社へ行くことが必要である。

出雲大社へ行くのは今年の5月。それまでこいつが生きていればのことだが。

今の私に出来るのは、無事であることを祈ってやることだけだ。

 

 

 


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