根性試し

最近というか、ここ数年興味を魅かれるのが、“冬山”である。冬山といっても、ここら辺りの冬山ではない。日本では北アルプスの八ヶ岳を始めとする山々や北海道の利尻岳。世界ではエベレストを始めとし、マッターホルン、キリマンジャロ、アコンカグアといった有名どころだ。

冬山は、低酸素のみならず寒さや突風、雪崩や滑落など危険がいっぱいである。命を落とすことはとても簡単だ。私のような体力と根性自慢だけの、山の知識も経験も無いものが足を踏み入れれば、まず生きて帰ることは出来ないだろう。

というか、命がいくつあっても足りない。冬山登山を行えば、あの世行きが確定なのにそれでも興味を魅かれるのは、それが、究極の根性試しだからだ。漢を目指すものなら、興味を魅かれるのは当然であろう。

ただ、この究極の根性試しは、これまで私がやってきたこととはレベルが違う。何しろ自分の命がかかっている。そうそう興味だけで行えるものではない。また、簡単に誰かを誘えるものでもない。自分の命にさえ責任を持てないのに、ましてや他人の命になんて余計に責任を持てるものではないからだ。

よって、今は、“やってみたい!”という気持ちを持つのみにとどめるようにしているが、だからといって絶対にやらないわけではない。冬山登山が究極の根性試しであると思い込んでいる以上、やる可能性を残している。正直、これをやってから死にたいとさえ思っている。でも、死ぬ覚悟が無いから今は出来ない。

冬山では、生存率が知識や経験以上に天候や運に左右される。どんなに周到に準備しても不確定要素が多いために“もしも!”のことを考えざるを得ない。そのため、覚悟が要るのだ

今の私には、気力と体力は備わっている。興味も大いにある。必要なのは、知識と経験だ。これらのものをこれから準備していくことは出来る。だが、これらのものが揃った時に最後に必要となる覚悟が出来るかどうかは、今の段階では分からない。

だが、もしもそれが出来たら、それは私の最初で最後の冬山登山への扉を確実に開けることになるだろう。

 

 


根性試し」への6件のコメント

  1. なら、今年はシーズン終わりやから、無理やろうから年末ぐらいにやろうか!
    スギと3打ちか、もう1人誰かを入れて4打ちで!

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