きっかけ

私達が給水支援隊として現地に派遣されたのは、震災から3日経った3月14日だった。当初、震災翌日に萩を出発するつもりが、出発する準備が整わないことが理由でこの日になった。

行く道中は、初めての東北行きということもあり、旅行気分だった。その旅行気分も、行く最中に起こった原発の爆発とそれからの避難先での震度6強の強烈な一撃に木端微塵に粉砕された。

元々死ぬ覚悟など全く無かったが、現地での度重なる余震や地震雲の発生、原発から近い場所での給水支援とあって、幾らかは死ぬ覚悟をせざるを得なかった。

そんな死への恐怖心に打ち勝てた、いやそれから逃げ出さずに済んだのは、こんな有事の際にもアホなことを言い合える気のおける仲間の存在と現地の人達の優しさだった。

「こんなところへ遠くから良く来てくれたね!」、「ありがとう!ありがとう!」、「連日の作業で大変でしょう。体に気を付けてくださいね。」など、私達に労いの声をかけてくれる人がたくさんいたし、また、自分達が食べ物に困ってるにも関わらず、私達に貴重な食べ物をくれる人もたくさんいた。

その行為に、逆に私達が励まされていた。

市内各所に設けられた遺体安置所も外からではあるが、何度も見かけた。「ゴゴゴゴゴゴォッ!」という大地が動く時に発せられる地鳴りも生まれて初めて聞いた。自衛隊の車両が何百台も列をなして走行するのも初めて見た。大型ヘリが頭の上を頻繁に飛び回るのも初めての経験だった。

被災地の乾いた土の臭いがやけに鼻についた。仙台市水道局の屋上から、未だに回収されない遺体が何百体も放置されたままの若林区の海岸を望んだ。

何とも言えない気持ちになった。

あれから4年が経つ。あれ以前と以後では、世界がまるで違う。同じようで全く違う。それに気付き、意識を改革させられた4年であった。

あの日の出来事が、私達に意識や考えを改めさせるようになったきっかけであると、私は信じている。

 

 


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