あれから~そして

昨日は阪神大震災の日だった。

あれから21年が経つ。この年に産まれている人は21歳になる。今年、成人式を迎えている。そう思うと21年という年月に重みを感じる。

当時私は22歳だった。大学を卒業して就職する年だった。

ノストラダムスの大予言をマジで信じていた私は、全人類と共に27歳でこの世を去る予定だった。それが、43歳の今まで生きている。就職し、大けがをし、大病を患い、結婚し、子供を授かり、祖父母を亡くし、そして自我に目覚めて漢塾を創設した21年間だった。

今思えば、“あっ!”という間だが、あまりにも濃い時間だった。大学生までの22年間と比べて1年間短いながらも中身の濃さは、その数倍であった。それは、就職・結婚・子育てという人生における三大転機があったからだけではない。自我の目覚めと、それまでには経験をしたことのなかった挫折というものがあったからだと思う。

そして、これまでと同じ期間の21年後を想像してもみる。21年後は、65歳だ。立派な高齢者である。果たして自分が生きているかどうかも分からないが、生きていられればラッキーだ。

家族がどうなっているか、友人がどうなっているか、世の中がどうなっているか、そして自分がどうなっているか。もし、生きていられるならば、これまでの人生よりも更に濃いものになっているに違いない。死に向かうためにいろいろなものを捨てながらも、更に挫折も経験も重ね、今よりも賢くなっているだろうから。

そう考えると、未来を迎えることが不安に思いつつも楽しみにもなってくる。

いつもこの日が来る度に震災と重ね合わせて自分のここまでの過去を振り返り、未来を想像している。振り返る過去は、一年の経験を重ねた分、更に感慨深く、未来は賢くなった分、更に具体的に想像出来るようになっている。

さあ、来年はどのようになっていることやら。

 


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