思いを馳せる
大荒れの日本海を見ていて二つのことを想像した。
まず始めに、「今日、寒中水泳をやったらどうなるんだろう?」と。今日は、最高気温が-2℃である。もしかしたら今は-2℃以下かもしれない。もしかしたら-4~5℃という可能性だってある。
これまでで、海に入った時の最低気温は1℃である。0℃を下回ってはないが、それでも十分過ぎるほど寒かった。その時は風も強かったから、海に入るまでの間も寒かったし、海の中も冷たかった。
海から上がって、温泉に浸かった時も、体の芯から冷えに冷え切った体は、なかなか温まらなかった。温泉に最初に脚を浸けた時も、浸かっていた海水とは40℃以上という温度差もあり、痛く、そして何故か冷たく感じたものだった。
これまで生きてきて経験した中でも5本の指に入る激烈な経験だった。
それが今日は、あの時よりも気温が3℃以上低く、おまけに大雪警報と暴風雪警報まで発表されており、大雪と暴風で天気は大荒れである。波浪注意報まで発表されているため、波も非常に高い。
まさに寒中水泳をやるためにあるような今日の天気だ。これまでで最強最悪の環境に恐れを抱きつつ、またワクワク感もあるという複雑な心境だ。前回欠席者のための第2弾漢稽古を今日に予定しておかなかったことを後悔したが、もし今日漢稽古を行っていれば、初めての犠牲者がでた可能性もあるだろう。
次に想像したのが、「今日、10m以上の大津波が来たらたくさんの人が死ぬだろうな。」ということ。
5年前の東日本大震災は、3月11日に発災した。こちらでも3月は、まだ寒いが東北地方は冬の真っただ中だ。それは、発災後すぐに震災の復興支援に行った私が良く分かっている。
確かに3月とはいえ、東北地方は寒かった。風は冷たく、雪が降り、道路は凍結していた。
発災当時、今日ほどの風は吹いてなかったもしれないが、それ以外の雪の降り方や気温、水温というものは似たようなものだった。
このような状況で海水に浸かれば、どうなるかが容易に想像出来る。津波で命を落とすのは、溺れたり、漂流物に当たったり巻き込まれたりするだけではない。長く海水に浸かっていたり、海水から上がってもすぐに体を温めなければ低体温症になって命を落とすのである。
もしもこの時が冬ではなく夏であれば、命を落とした方の何割かが助かったのではないかと、今でも思う。
萩は、防災意識の低い地域である。毛利氏がここに居城を構えてから400年もの間、局地的な水害はあったものの、地震や津波などの規模の大きな災害に遭うことはなかった。
これまで自然災害においては、比較的平和だったこと。それが、今日の防災意識の低さに繋がっている。おまけに市の中心地である三角州の中は、地形的には最悪だ。
海抜が低いし、左右を川に囲まれているし、砂地のため地盤は脆い。そのため、逃げる場所は市内では希少な高い頑丈な建物などに限られ、橋が崩壊して川外に逃げることは出来ず、例え家が崩壊しなくとも液状化現象により家が傾いたり沈んだりすることも考えられる。
おそらく、津波警報や大津波警報が発表されても殆どの人は逃げないだろうと思う。それは、防災意識の低さと、津波に対する避難訓練を定期的に行っていないためだ。
普段考えてないことや、練習してないことをいきなり本番で行うことは出来ない。故に、海に近い場所に住んでいる者の多くは死ぬことになる。
酷だが、万が一のことが起きたらそうなる。今日という劣悪な環境下であれば、更に多くの者が死ぬようになる。今日、津波に来られたら完全にジ・エンドである。
漢稽古に津波という、今日という悪天候下での想像。今日は、想像を掻き立てられるだけの久々のバイオレントでアグレッシブな天候であった。
想像の結論。津波は嫌だが、漢稽古はありだ。
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