もう桜が満開というので、近場に桜を見に行った。桜の花は、咲き始めてから1週間ぐらいで散ってしまう。また、見頃も2~3日しかないということで、これは今見ておかないと見逃してしまうと思ったのが、見に行った理由だ。

多勢の人が集まるようなメジャーな場所は避け、人気の無いひっそりした場所を探しに行った。人が多いと、うるさくて花を嗜むのに気が散るから嫌なのだ。何ケ所か桜のある場所をまわり、川沿いに桜が咲く場所を見つけ、桜の下で昼飯を食った。

ぽかぽか陽気の中、満開に咲く桜の下で食べる昼飯はとても美味かった。散った花が水面に浮かぶ様子を見て、一句詠みたくなったが、自分にはそんな教養も才能もないので、読むことを諦めた。この時ばかりは、心に思ったり感じたりしたことをすぐに表現できるよう普段から訓練しておけば良かったと後悔したのだった。

しかし、何故、人は桜に心魅かれるのだろうか?綺麗だからというだけでは、説得力に欠ける。多分、それ以外の何かがあるのだと思う。私の場合は、桜にまつわる様々な思い出と、毎年きちんと同じ時期に花を咲かすことに驚きを感じているからである。

桜は多少の開花日のずれはあるものの、開花日までどんな異常気象があっても、どんな天変地異があっても桜の木が生きている限り必ず花を咲かせる。それは、桜だけではなく他の植物でも同じなのだが、桜には思い入れが強いため、尚更驚きを感じてしまうのである。桜は、どんなことがあってもきっちり自分の仕事をしているのだ。

どんな状況下でも自分の仕事を、為すべきことを為すというのはとても難しいことであるが、漢になることを目指すならばそれができて当然である。そんな当然のことを花見に来て桜に教えられたのだった。自然から教わることは多い!


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