タクジ

タクジの話をしよう。この男とは、高校の時に一緒にラグビーで汗を流した仲である。これまで、個人的にプライベートを一緒に過ごしたりすることはなかったが、今年の春の漢塾アームレスリング大会に参加したことを機に、たまに会うようになった。

漢塾アームレスリング大会では、初出場ながらも、なかなかの活躍ぶりを見せてくれたタクジだが、高校生の頃から見かけによらず、かなりの根性を持っていたタクジだからそれも当然かもしれない。

この男のことで最も印象深いのは、ラグビーの試合で、左足を複雑骨折したものの、9ヶ月後にそのケガから復帰して見事トライをとったことである。あれは、平成2年の2月だったと記憶している。私が高校2年生の時、確か、新チームでの県大会だったと思う。決勝進出をかけて、山口高校と対戦した時のことだ。

後半も半分を過ぎた時のことである。ウイングのタクジが、ボールを持って敵陣地に走り込んだ。そのままゴールまで行くかと思いきや、敵のフォワードに捕まった。ボールを持ったままタクジは倒れ、何人もの敵味方が入り乱れて、すぐさまラック(倒れた味方をまたいで、敵を敵陣地に押しやり、味方の持っていたボールを相手に奪われないようにすること)となったが、あまりにも激しくボールを奪い合うために押し合いをするものだから、ラックが潰れて、地面に倒れているタクジの上に何人かが倒れこんだ。

ピーッ!と審判が笛を吹いて、ボールの奪い合いであるラックもブレイクされたが、審判の笛と同時にグランド一面に響いたのは、「うわぁっ!うわぁっ!」というタクジの悲鳴だった。その時は、皆、タクジに何があったのか理解してなかった。

何故、タクジがそんな悲鳴を出しているのかが分かったのは、タクジの上に倒れこんだ人間が全てタクジの上から退いてのことだった。

倒れこんだ人間の下から現れたタクジを見た瞬間、敵も味方も凍りついた。左足の大腿部が変形して、しかも膝から下のふくらはぎが180°回転して正面を向いていたのだ。

おそらく、倒れたタクジの左足が変な方向を向いていた上に、何人もの人間が倒れこんだからそうなったのだと、思ったが、どうしても足がそのように著しく変形したということが信じられなかった。しかし、そのようになったということは事実で、この事には、敵も味方も震え上がった。特に肝っ玉の小さい何人かはタクジのようになりたくないからか、その後の試合ではモールやラックなどの敵との接触プレイを避けているようにも見受けられた。おかげで、試合自体は、すごく精彩を欠いたつまらないものになった。

問題はタクジであった。すぐに救急車が呼ばれ、タクジはタンカで運ばれて行った。タンカで運ばれる間、タクジは意識があったものの、痛みのあまり、目を開けることも人と話ができる状態でもなかった。何せ、足が折れて変形していたのである、その激痛たるや想像を絶するものがあった。

タクジは日赤病院に入院した。後日、見舞いに行った時は、左足をワイヤで宙にぶら下げ、そのワイヤにオモリを付けて足を矯正していた。足を矯正しないと、手術ができないらしいから、そうやっているらしいのだが、それでも手術をするまでには2週間かかるとのことだった。

そして、手術をしても退院するまでに2ヶ月、退院しても普通に歩けるまではリハビリに3~4ヶ月かかるとのことだった。我がラグビー部は、受験勉強のため、3年生は6月で引退を予定していたので、タクジはこの試合が事実上の引退試合だと、この時は思いこんでいた。

ところが、そうはならなかったのである。ラグビーに思いを残す有志8人が、引退をやめて花園予選に出場することを決めたのだが、その8人の中にタクジは入っていたのである。やはり、この男もこのままでは終われないと思っていたようで、こいつが残ってくれたことは嬉しかった。

だが、9月の半ばから練習を始めた時は、ようやく小走り程度に走れるようになったぐらいで、これではとても試合に出場することは無理だと思われた。また、仮に試合に出場したとしても、ケガをした時の恐怖がレイドバックして、プレイができないのではないかとも思われた。

しかし、そんな私の予想に反して、タクジはこつこつと練習に精を出し、試合の直前には何と!以前の9割ぐらいのスピードで走れるようになっていたし、練習の中では、積極的に接触プレイもするようになっていたのである。当時は、練習に頑張っているからここまで復調したのだと思っていたが、今考えると、あの復調の早さは自分で陰ながらにリハビリやトレーニングをしていた賜物に違いないと思えるのだ。

努力の甲斐あってタクジは、花園予選で再びグランドに立つことができた。相手は、何というめぐり合わせだろうか、あの因縁の山口高校であった。約9ヶ月ぶりのグランドに立ててタクジは何を思っただろう。再びグランドに立てたことの嬉しさか、それとも恐怖か、その心中や察するに余りあるものがあった。

試合は、全員3年生の山口高校のペースで進んだ。やはり3年生が8人しか残ってなく、夏の練習を乗り越えてない我が高校では、山口高校にたちうちできるはずもなく、どんどん点差をあけられるしかなかった。しかし、いくら練習不足とはいえ、敵に一矢報いたいと、最後の最後に勝負にでた。

スクラムを押し込んで、敵のボールを奪い、それをスクラムハーフがとって、スタンドオフ、センターへとボールをまわす。そして、センターが最後にボールをまわしたのが、ウイングのタクジだった。

ボールを持ったタクジはがむしゃらに走った。敵も後ろからタクジを追いかけた。追いかける敵もかなり足が速いが、タクジの走りは敵を上回っていた。練習でも9割ぐらいの復調だと思っていたが、この時のタクジは、全盛期の走りを取り戻していた。いや、これが最後と、がむしゃらに走っていただけ、この時の走りが過去最高だったかもしれない。

「そのまま行けぇ!頼むからお願いだ!」あと30mあと20mあと10m・・・その時、私の頭の中は真っ白になった。ピーッ!と審判が笛を吹いた。タクジがトライしたのである。それも50mぐらいの独走トライである。

あの、もう走れない、ラグビーも二度とできないと思われたタクジがトライをとったのである。左足を複雑骨折した時よりもインパクトはあった。私達は、すぐさまタクジに駆け寄り、口々に「お前すげえよ!」「信じられない!」「感動した!」などと言ってタクジを称えた。タクジを称える皆の目には涙が浮かんでいた。山口高校に最高の形でリベンジしたことで、タクジは男を上げたのだった。

スタンドオフのエテがゴールキックを決めた瞬間に試合は終わった。私達は負けた。そして、これが高校で最後の試合となった。しかし、私達は負けはしたが、皆、表情は明るかった。勿論、負けて悔しくない訳はないし、悔やむこともあった。だが、最後の試合で全力を尽くせたことと、そして何よりも最後の最後にあのタクジがトライをとるというドラマのような出来事に立ち会うことができたことが、そういうものを忘れさせたのである。

私は今でもこのことを思い出すたびに、胸がジーンときてしまうし、未だにあんな奇跡のようなことがあったことを信じられないでもいる。でも、事実は事実。あれは奇跡でもなんでもなくて、タクジの努力と執念の成果だったのだ。あんないいものを見れて、あの場に居合わせた私は、マジでラッキーだった。

不屈の闘志を持つ男タクジ。こんな男と、アームレスリングが縁で、今再び活動を一緒にできることを嬉しく思っている。


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