結願

結願してから一週間が経った。時の経つのは早い。休み明けの仕事は辛かったが、ようやく元の生活にも慣れてきたところだ。

何故、今頃結願したことなの?と思われるかもしれないが、結願した時は、はっきり言って何も思うことがなかったのだ。せいぜい「終わった!これで家に帰れる!」ぐらいしか思わなかったのだ。昨年の4月から始めて、結願まで1年5ヶ月。のべ22日間を遍路に費やすという、サラリーマンの私達からすれば、大冒険と呼べるような旅だったのだが、それで何で思うことがなかったのであろうか?

確かに高野山への御礼参りがまだだし、家に帰っても遍路のレポートの作成をやらなければならないので、私達の遍路はまだ終わってないといえる。だが、それだけではない。やはり心のどこかで、またこの地に戻ってくることを分かっていること、結局また次があると思っていることが、一番の原因だと思えるのだ。それは歩き遍路でかもしれないし、旅行でかもしれない、もしかしたら住むようになるのかもしれない。どのような形であれ、またこの地を踏むことは間違いないと思えるのだ。

ハッキリ言って今は、遍路に戻りたいなんて思わない。文明生活に慣れきった甘ちゃんの私には、こっちの生活の方が心地良い。しかし、日に日に遍路での生活のことが懐かしく思えてくるのは何故だろう?寺から寺への移動の苦しさや、蚊にかぶられまくったこと、寝場所の公園を求めて彷徨ったこと、夜中に雨が降って急いで避難して何度も寝不足になったことなど、その最中には楽しくもクソもないことが、今思い出すと、楽しく思えるのは何故だろうか?そう思わせるのが、遍路の奥深さなのかもしれない。

とりあえず、四国八十八ヶ所遍路は結願したので、今度は、高野山へのお礼参りと、遍路レポートの完成という本当の結願に向けて気合いを入れていきたい。まだまだ、これからである。


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