ジョイ

ジョイがうちに来たのは、私が高校1年生の時だった。私がラグビーの試合から帰ると、庭にプルプルと震えるひ弱な子犬がいた。その子犬は今は亡き祖母と、末弟が市役所で貰ってきたものだった。

当時は、ソウルオリンピックの年で、故フローレンス・ジョイナーがオリンピックで活躍していたので、彼女から名前の一部をいただいて「ジョイ」と名付けた。この名前には、ジョイという意味が「楽しむ」ということから、ジョイが家族と一緒に楽しく暮らせるようにとの意味も込めていた。

ジョイは、名前のとおりスクスクと育った。ひ弱な子犬の頃が想像できないくらいに、大きく強くなった。顔も男前だったし、尻尾もクルッと巻いてスタイルも良かった。おまけに賢かった。

私が、家に帰ってくると、いつも尻尾を振って飛びついてお出迎えをしてくれた。逆に家をでる時は、寂しそうにお見送りをしてくれた。それが嬉しくて、家に帰るのをいつも楽しみにしていた。

残念ながら、私は愛情表現が下手なので、傍から見ると可愛がっていないように見えたかもしれない。また、ジョイも、私の愛情をどう受け止めてよいのか戸惑っていたみたいで、私にとてもよくなついている反面、怖れているようでもあった。

ジョイは、2年前から衰えが顕著に見え出し、今年の春ぐらいから歩行困難になったため、散歩にも行けなくなった。犬は、人間の5~6倍もの速度で歳をとるため、歳をとって衰えていく様がよく分かる。その衰えていく様は、自分が歳をとって衰えていく縮図を見ているようでもあった。

口のまわりの毛や目も白くなり、毛並みも悪くなった。体は痩せ細ってガリガリになり足腰は立つのもやっとくらいに弱くなった。全盛期の10年前と比べると、その変わり果てようは見ていて悲しくなるほどであった。お別れの1週間前からは、ロクに飯も食べなくなった。生きていること自体が辛そうでもあった。

お別れは寂しいが、早く楽になった方がジョイにはいいのかなとか、何かできることはないかと考えたりしたもした。が、私に何ができるわけでもなく、土に戻っていく過程を見守るしかなかった。

最後のお別れをしたかったので、なるべく毎日、実家に帰るようにしていたが、ここ最近、実家に帰ってなかった。久々に私が実家に帰ると、ジョイがダンボール箱の中で丸くなっていた。最初は、寝ているのかと思ったが、家族の様子を見て、そうではないことを悟った。いつそうなったかは、誰も見てなかったから分からなかったが、少なくとも私の帰る1時間前までは生きていたらしかった。最後のお別れをしたかったが、結局それは叶わなかった。

残念だと思いながらも、この時、不思議と悲しいとか寂しいという感情は湧いてこなかった。遅かれ早かれこうなることが分かっていたからかもしれないが、それにしてもあっさりしたものだった。しかし、17年も一緒に過ごしたジョイとの別れが、こんなあっさりしたもので済むわけもなく、時間の経過とともにそういった感情も強くなりつつある。

あれから1週間、実家に帰ると未だにジョイがいるような気がしてしまう。


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