別れ

130年以上も続いた伝統ある書店が今月末で店を閉める。店主が高齢で、後継ぎがいないかららしいのだが、10年近くも毎月何冊もの本を職場まで届けてもらっていた私にとっては、正に寝耳に水のような出来事である。

130年といえば、幕末から明治に変わったばかりの頃だ。まだ幕末から明治に時代が変わりきれてなくて、ちょん髷を結った人が歩いていた時代である。そんな時代に始めた書店が、この平成の世まで残っているとは驚きである。初代店主は、もしかしたら維新の志士達に会っていたかもしれないと思うと、なおさらすごいと思わざるをえない。

この130年の間には日清戦争、日露戦争、二度の世界大戦や、その他諸々の困難なことがあったと思う。それでも、ここまで続けてきたのだ。その苦労は並大抵のものではなかったはず。10年も経たずに潰れていく企業や商店が多い中、130年も続けてきたということは賞賛に値すると思う。

これから130年も何かの店を続けようとしたら、客に愛され必要とされる店でなくてはならないし、しかも継いでくれる者がいたとしても4代も5代も代がかかってしまう。そう考えると、これだけの長い年月を続けることの難しさが分かる。

私はこの書店の上客の部類に入っていたかもしれない。定期的に6~7冊の購読書があったし、気に入った本や欲しい本があれば、まとめて何十冊も注文することがあった。しかし、個人の店だけに注文しても私の手元に届くまでには時間がかかる。インターネットや大型チェーン店で注文すれば、すぐに届くのだが、地元の店に微力ながら少しでも貢献したいとの思いから、極力、この書店で注文するようにしていた。

でも、届くのが遅いからといって、この書店のことが大型店やインターネットより劣っているとは思わなかった。大型店では、注文した本が届いても、電話連絡だけで、私の手元まで届けてくれることはないし、インターネットではメール便で届けられるので手元には届くのだが、相手の顔が見えない。何だか機械的なのだ。その点、この書店のような個人の書店では、おばちゃんが「やっと届いたよ。待たせたね。」などと、言葉を交えながら手元に届けてくれるので、届くまでに時間がかかっても許せるし、手元に届いた時はすごく嬉しいのだ。だから、学研のおばちゃんを待つ小学生のように、いつも注文したものが早く来ないかなと、書店のおばちゃんが来るのを楽しみに待っていた。

手元に届けてくれる業務は、他の個人書店に引き継がれたから、これからも同じように毎月の購読書は私の手元に届くのだが、新しい書店の人に慣れるまでには時間がかかりそうだ。

この書店が、130年という長い歴史に終止符を打つのも、あと10日とちょっと。今でも、「誰か継ぐ奴がおらんのかよぉ。130年という歴史を終わらせるのは勿体なさ過ぎる!」と心の中で叫んでしまうが、もうどうにもなるはずもない。この書店がなくなるのも、10年間も私の元に本を届けてくれたおばちゃんと会えなくなるのも無性に寂しく残念である。

確か26日か27日に最後の本が私の手元に届く。その時におばちゃんには、この10年の感謝の気持ちを伝えたいと思っている。

 

 

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です