繋がり
88会とは、毎年8月8日に行われる萩高校の卒業生全員が集う同窓会のことを言う。今年は私達43回卒業生の引き受けだった。
昨年の88会で、第42回卒業生よりバトンを引き継いでから、この一年はこれのためにかなりの時間と労力を費やしてきた。特に4月からのこの4ヶ月は、毎週のように会合を持ったり、資金調達や運営準備をしたりと、なかなかの忙しさだった。
私は、責任ある立場でもないし、大した仕事を任されたわけでもなかったから、同期の中心となった者と比べると楽だったと思うが、それでも常にこんな面倒臭いことはやりたくないと思っていた。
私達の同窓生の数は約350人。その殆どが、就職や結婚で市外や県外に在住である。よって、全員が一同に会することなんて不可能だし、開催日は平日のため、休暇を取ってまで手伝いに来てくれるのは難しいのではと思ったが、それでも萩市内及びその近郊を始めとして、宮城や東京、京都や大阪といった遠方からもはるばる、この88会のために多くの同窓生がかけつけてくれた。
私は、裏方に徹していたため、会場の様子をいつも目にするわけにもいかなかったが、パッと見た感じは、概ね盛況のうちに終わったのではないかと感じた。
閉会の折に、次期同窓会会長が挨拶した時点で次期同窓生に引き受けのバトンが渡された。これで私達の88会は終わった。首を長くするほど待ったこの瞬間だったが、終わったという安堵感とは別に寂しさも込み上げてきた。
あれほど面倒臭がった88会なのに、あれほど嫌悪していた88会なのに!だが、それは88会が終わるのが寂しいわけではなかった。16年ぶりに再会した友人と、またはこれまで話もしたことがなかったが、88会が縁で初めて話をしたり、仲良くなった仲間と別れるのが寂しかったのである。
88会に参加した人も参加できなかった人も88会という傘の下に16年ぶりに再び集った。全員の顔も名前も知らなくても、私達は同じ学び舎で学んだのだから全ての者と縁がある。全ての者と仲間である。
殆どの者達とは、今後会うことはあるまい。しかし、私達は“同窓生”という、仲間という絆で繋がっている。これからの人生で私達が変わっていこうと、これだけは変わることはない。私達には、どこに住んでいようと会うことがあろうと無かろうと、決して切れない繋がりがあるのだ。88会では、その繋がりをしっかりと、確認できたと思う。
長い長い準備の末に催された、たった2時間だけの宴。その晩、同窓生という繋がりで結ばれた私達は、確かに16年前のあの頃に戻っていた。
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