朋友

ひろぽんとは、大学時代からの付き合いである。ひろぽんとは、学部は違うし、部活もバイトも一緒だったわけでもない。知り合ったきっかけは、入学式の帰りに他県に一人で出た寂しさから前を歩いていた奴に私が声をかけたことだ。その声をかけた奴がひろぽんだったのである。言うなれば、男をナンパしたようなものである。

私達はすぐにひろぽんのアパートへ行き、お互いがどこの出身か、高校の頃は何をやっていたか、彼女はいるのかなどいろいろなことを話した。おかげで、すぐにお互いが打ち解けることができた。ひろぽんは私の大学生活で第一号の友人となった。

それからは、私が洗濯機を持ってなかったこともあり、週に2~3回はひろぽんのアパートに洗濯をしに行ったり、一緒に飯を食いに行ったりと、頻繁に交流を積み重ねた。

世話もしたし、世話にもたくさんなった。特にこいつに世話になったのは、食い物でのこと。美味い餃子専門店の餃子や美味い焼き鳥などを買ってきてくれたりして、私を唸らせてくれた。美味いものを食い慣れて口の肥えた現在でも、あの当時食った餃子の味は忘れられない。その美味さといい、値段の安さといい、ボリュームの多さといい、私の中では今でも一番である。

大学を卒業し、私は就職で約一年間ほど大学の所在地である豊橋市に残り、ひろぽんは留年して大学に残ったため、その間はちょくちょく会っていた。しかし、卒業して二年目になると、私は転職で山口県に戻り、ひろぽんは大手バス会社に就職して群馬県に行ってしまったために会うことができなくなってしまった。

奴に会ったのは、それから2年後の私の結婚式の時と、ひろぽんがバス会社を辞めて岐阜へ戻ってきた時に私が遊びに行った時と、他の友人の結婚式で名古屋に行った時だった。あれほど仲が良かったひろぽんと、この11年間に3回ほどしか会っていなかったことになる。できることなら、1年に一回ぐらい会えればと思っていたのだが、お互いにいろいろと都合があったので、こればかりは仕方がなかった。

最近のひろぽんとの接触は、メールやお互いのホームページの掲示板でのやりとりぐらいだった。それでもお互いの無事や状況は確認はできるが、そういうやりとりをしているうちに会いたくなるのが人間の性というもの。

そういう私の心の内を見透かしたのか、年明け早々にひろぽんが萩に来てくれた。約5年ぶりに再会したひろぽんは、積み重ねた苦労と経験の分だけ少し老けたかなという印象だったが、それは明らかに大人になった証だった。

たくさんの職を転々としたことを本人は、自分の不甲斐なさのせいだと言っていたが、私からすれば大変貴重な経験をしてきたように思えるし、奴の言動をから判断する限り、これまでの経験は確実に奴の血肉になっていると感じた。

ただ、ひろぽんと久々に話して思ったのは、ひろぽんは自分の良さをあまり分かってないということ。奴には人も羨むほど、たくさんの良さがあるのにだ。全く、鈍感というしかない。なかなか普通は自分の良さなんて分からないし、かくいう私だって自分の良さを分かってはない。だけど、私達の歳になると、社会に貢献するためにも、自分のことをもっと知るためにも、もうそろそろそのことに気付かなければならない。

まあ今回、再会できたことで気付けたのなら幸いだ。実際、私も奴のおかげで、自分の良さを幾らかでも分かることができた。うちのぽん太郎さんも母ちゃんも弟も口々に言っていた。「あの人すごいええ人やねぇ~!」と。その言葉がひろぽんの全てを語っている。

実質24時間の邂逅だったが、たくさんのことを語り合えて私は満足だった。私にとってひろぽんは、青春の貴重な時間を一緒に過ごした大切な朋友である。だから、今後も死ぬまでにはできるだけ会いたいと思っている。

今度会えるのは何時かは分からない。それまではお互いの無事と、ひろぽんの幸せを祈ることとしよう。

 


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