ひろぽんへの手紙

いきなりのことだったらしいな。朝、元気良く家を出て、帰ってくる時はもの言わぬ姿になっているとは。誰もそんなこと予想だにしないよな。いきなりの別れだけに、この状況はなかなか受け止められないよな。

「親孝行したい時に親はなし。」と、お前は言った。お前のブログの中でも「いつからか親父を疎うようになって、話もあまりしなくなった。」と書いていたな。

俺の両親は健在だが、お前とお前の親父との関係が、俺と祖父との関係とそっくりなんだな。祖父が死んだ時は、「爺孝行したい時に爺はなし。」と思ったし、俺もいつからか祖父のことが鬱陶しくなって祖父のことを避けるようになった。あれほど可愛がってもらって、世の中で一番尊敬できる存在だった人にそんなことをするなんてと、今でもすごく後悔しているよ。

その時からかな、俺の考え方が変わったのは。「人間は生身であるからいつ死ぬか分からない。いつか孝行しようと思っていたらできない可能性がある。だから、できる時に出来ることをやっておこう。」と、考えるようになったんだ。

そのためか、十分ではないにしろ、祖母に対しては祖父に対してよりもいくらかは孫らしいことができのではないかと思うし、親に対しても産んで育ててくれたことに対する感謝の気持ちを持てるようになったから、以前はよく喧嘩をしていたのが、最近はめっきりそれがなくなった。

結局、俺は祖父の死ということがきっかけで変われたわけだけど、お前もそうみたいね。愛する者が亡くなることで、とても素直に謙虚になってそれまでの自分というものを省みることができたみたいだ。

愛する者が亡くなるのは悲しいし、気持ちが整理できて立ち直れるまでには時間もかかるかもしれない。でも、生きるということは前に前に進んでいくことだから、いつかは、今いる悲しみの場所からも離れられることだろう。

急がなくてもいい。今は何をする気でなくてもいい。悲しみの中で己を見つめればいい。親父さんに孝行ができなかったことを悔やむなら、親父さんの分も残されたおふくろさんに孝行すればいい。

親父さんにできる最高の供養は、親父さんに対する感謝の気持ちをいつまでも忘れないこと。そして、残された家族が幸せに暮らすこと。

俺もお前のことを遠くの地からではあるが、見守っているし、俺にできる最大のこととして、近々お前に会いに行こうと思っている。親父さんの仏前で拝みたいし、お前ともたくさん話をしたいからだ。

だから待ってろよ!


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