挑戦

目の前に迫る約1.5㎞も続く急な坂を前にして、正直怯んでいた。約1年ぶりのチャリンコでの長距離ラン。愛車をメンテナンスしての試走ということもあったが、自分の体力が落ちてないかを測るということが主な目的だった。

どんどん迫り来る坂。いつまでも怯んでもいられず、吹っ切れて勢い良く坂を駆け上がる。ギヤは最も重たいギヤより一段下げたギヤで、勿論、立ち漕ぎはしない。

この状態で坂を最後まで上りつめる気でいた。坂も序盤を過ぎると、どんどん傾斜がキツくなるので、心拍数がどんどん上がってくるのが分かる。

何度となく味わったこの感覚。最初は苦しくてたまらなかったが、ある一定の時間をその状態で過ごすと、その苦しさが気持ち良くなるから不思議だ。

しかし、その苦しさを乗り越えたと思ったら、今度は大腿筋と膝が悲鳴を上げてくる。それでも、踏み込む足にはまだ力が入るということを確かめながら走る。意識の殆どは、足に集中している。

「まだ行ける、もっと行ける。足にはまだまだ力が入る。」と、頭の中で叫びながらペダルを踏み進めるが、それも限界の時がきた。足にどう力を込めても、踏み進められなくなったのだ。

立ち漕ぎをすれば、どうにかなったはず。でも、それは私のプライドが許さなかった。立ち漕ぎをするよりは、ギヤを落とす方がましと考え、やむをえずギヤを落とした。

この時、坂の残りは3分の1ほどであった。いくら今までより、1段ギヤが軽くなっているとはいえ、それまでに筋肉を酷使していたため、キツいことに変わりはなかった。

だが、どんなにキツくてもこれ以上ギヤを落とすつもりはなかった。何故なら、5~6年前の体力全盛時にこの坂を同じギヤの重さで上っていたのを意識していたからだ。

荒く息をし過ぎて鼻水はタラタラで呼吸がしにくいし、喉から心臓がでそうだわ、足は攣りそうだわで、もはや最悪の状態だった。それでも私の歩みを止めさせなかったのは、あの時を上回るのは無理だとしても、せめて同じことが今でもできるようでありたいという男としての意地だった。

もう足の痛みさえ乗り越えていた。全てを乗り越え、朦朧とする意識の中で私が見たのは、神ではなくゴールである坂の頂上の料金所だった。

不思議とゴールが見えると、人間は力が出るもの。今までどこにそんな力を隠していたの?というほどのスピードで、ラスト200mを駆け上がった。

ゴールしてから、苦しさの余り、すぐにチャリンコを降りてうずくまった。ほぼ全力を尽くしたといっていい。会心の走りであった。あの時は、こんなに苦しくなることはかったが、タイムでいえば、何と!今回の方が上回っていた。

30代も半ばになって、体力的にはそろそろ?というのがあったから、おかげで自信が持てた。まだまだ自分を鍛える余地は十分にありそうだ。

 


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