ディア〝まつ”
“まつ”こと“まついちしぶ”ヘ言葉を贈る。そもそも何でお前が“まつ”なんだ?とお思いの方も多いと思うから、名付け親の俺から名前の由来を説明させてもらう。
“まついちしぶ”とは、その昔、私の好きな某格闘技団体に所属していた、弱くて冴えない選手の名前を私が間違えて覚えたものだ。
お前を初めて見た時に何故か、この名前が頭に浮かんだので、お前に贈呈することにしたんだ。
略して“まつ”。俺と出会った時からお前は“まつ”となった。
5年前に同じ職場の先輩、後輩の仲になった俺達。お前の故郷と、俺の母親の故郷が同じことから、俺達はすぐに打ち解けた。
上司を除くと、俺とお前の2人しか職員がいない職場だったということもあり、俺達は職場では常に行動を共にしていたし、また、プライベートでも多くの時間を一緒に過ごした。お前とは、たくさんのことを語り、たくさんのことをした。
そんな関係だから、後輩達の中でも特にお前に対しては格別な思いを抱くのは当然であろう。
お前が自ら志願して、東京へ行ってから早3年。心の隅には、漢塾のイベントにお前が参加できないという寂しさはあったが、俺もその間、せわしく動きまわっていたから、そのような感情に浸る暇もなかったというのが正直なところだ。
そんなお前が、来年の春には、東京の女性をこちらへ連れて帰ると言う。任務を終えて帰ってくるだけでも俺としては嬉しいのだが、遂に身を固めるとあって俺にとってはダブルの喜びである。
誰かの言葉を借りるならば、「過疎化の進む萩、いや、少子化の進む日本のためにジュニアを1人とは言わずに、2人でも3人でも・・・。」と言いたいところだが、そんなこと俺にとってはどうでもいい。
俺にとっては、今度は家族ぐるみでお前と付き合えるようになることが何よりも嬉しい。お前が身を固めるということは、俺達にとっては新たな関係の始まりでもあるんだ。
お前は、見た目は誰が見ても、野暮ったいヤサ男である。それは間違いないと断言できる。しかし、野暮ったいその外観とは裏腹に、お前の中には誰よりも熱いものがあるのを俺は知っている。
お前は素直で熱い男だ。誰もそうは思わないかもしれないが、俺はそう思っている。そんな熱いお前を好きになるなんて、相手の方も相当熱い方なのか、それとも相当に包容力のある方なのだろう。俺は今から、相手の方に会うのが楽しみでならない。
俺とお前との間柄だ。“いつまでもお幸せに”とか、“良い家庭を築いてくれよ”なんて月並みな言葉は贈らない。熱い男であるお前に言葉なんて必要ないのだが、敢えて贈るとすれば、お前の好きな“無常”と言う言葉を贈るとしよう。
“無常”と言うのは仏教用語で、よく“この世は儚い”という意味で使われがちだが、俺はその言葉が本質的に訴える意味は違うと思っている。
“無常”とは、常であるものは無い。つまり、この世には変わらないものはないということ。
形あるものものも、また形のないものの代名詞である人間の心や考え方というものも、時の経過とともに変わっていく。それは、お前も30年以上生きてきたわけだから、良く分かっていると思う。
でも、これは客観的に変わらないものはないということを言っているだけで、決して“儚い”という事を言っているわけではない。何故なら、“変わる”という事は、良いとか悪いとかの判断を超えた自然のことであるからだ。
それを踏まえた上で、お前に言いたいのは、“無常”という観念からすれば、“永遠の愛”なんてありえないということが分かってはいても、お前の熱さで、それを否定して欲しいということ。それを受け入れてしまっては、夢も希望もなくなってしまうからな。
長く生きても僅か100年ばかりの短い時間の中でなら、期間限定の“永遠の愛”を貫くことも十分に可能だと思うし、相手に対する愛情の形は年を経るごとに変われど、本質的に同じものは持ち続けられるはずだ。
それは、俺にもお前にも出来るんじゃないかな。
お前がこちらへ帰って来るのは、来年の春だったな。来年の楽しみがまた一つ増えたよ。“まつ”だけに首を長くして“まつ”とるからな!
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