二人へ
神父さんが、「コリントの信徒への手紙」を読んだ時、俺は自分のことのように、その一言一句を聞いていた。
お前達が、祝福の言葉に、この言葉を選んだんやろう?よく知っていたものだと驚いたよ。
今から、共に歩んでいくお前達に相応しい言葉だと思う。
人に何かを言えるような人間ではないのだが、人生の先輩として、俺からも言葉を贈らせてもらう。
今、お前達は幸せの絶頂にいると思うが、大きい幸福感というものは長くは続かないし、そう滅多にあるものではない。今と同じくらいの幸せを感じるとしたら、次は子供が生まれた時ぐらいのものだろう。
また、これから長く一緒に生活していくに従って、いろいろなことに慣れきってしまい、自分達が幸福だと感じることも少なくなるかもしれない。
しかし、大きい幸福を感じることはできなくても、毎日なんらかしらの幸福を感じることはできる。
その秘訣は、”感謝すること”だ。
“食べられることへの感謝”、”健康であることへの感謝”、”一緒にいられることへの感謝”、”自分を支えてくれる人達への感謝”など。周りには、感謝すべきことが山ほどある。
そういうものに気付き、”有難い”と感謝することで、自分が幸福であることを実感できると思う。
どうしても、そういうものに気付きにくいというのであれば、そういうものを失った時のことを考えたらいい。それらのものから、どれだけ自分が恩恵を受けているかが想像できるはず。そしたら、”有難い”という感謝の気持ちが湧いてくるんじゃないか。
俺も2回の入院で、健康であることの有難さが分かった。仕事や私生活において、たくさんの人に助けてもらったことで、今がある。最近は、給料を毎月もらえるということが有難いと思えるようになった。
まだまだ、感謝のしようが足りないとは思うが、いろいろなことを経験してきたことで、若い頃よりは素直に感謝の気持ちを持てるようになった。おかげで、いつも自分が幸せであることを実感している。
素直で謙虚なお前達には、分かっているだろうから、いらぬ世話かもしれない。でも、これは誰にも必要なことだし、大切なことだから言っておきたかった。
これは、俺自身に対する言葉でもある。
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