実験

私は愛想は悪いし、誰とでも気軽に話せる性質ではない。本音で話せる相手なんて片手で足りる。

それでも、話をするのは好きだし、気の合う相手と話せば何時間でも時間を忘れて話をすることができる。家族や嫁さんとの会話も多い方だと思う。

そんな話好きの私が、何を思ったか、暇を持て余した学生の時にある実験をしたことがあった。

今で言う”ひきこもり”の実験である。期限を1週間と決めて、その間誰とも会わない、話さないようにしたのだ。

人と接触を絶つことが、自分にどのような影響を与えるかを確かめるための実験であった。

そうと決めたら、1週間分の食料を買い込み、すぐに自分の部屋に籠もった。外界との連絡を完全に絶つために、電話機の電話線を抜き、人が訪ねてきても絶対に部屋から出ないようにした。

その代わりに、部屋の中では筋トレをするなり、テレビを見るなり、本を読むなり、好きなことをした。

2日目ぐらいまでは楽勝だった。だが、3日目からは違った。

例えば、面白いテレビを見ても、その内容のことを誰と話せるでもなく、笑いを共有できるでもないことを、すごく寂しく感じるようになったのだ。

その寂しさを紛らわそうと、激しく筋トレをやりまくった。

しかし、それでどうにかなるものではなかった。

普通、運動をするとストレス発散できるのだが、ストレスと寂しさは違うものだった。

だけど、寂しさが募るとストレスが溜まった。

誰かと会いたくて、話したくてたまらなくなった。誰かと会えなくても、電話で話せれば良かったのかもしれない。とにかく話すことに飢えていた。

5日目以降は、この生活に心底ウンザリしてしまって”いつ止めようか”とばかり考えていた。

起きていたら気が狂いそうになるから、必要なことをする時以外は寝てばかりいたように思う。人が訪ねてくると、誘惑に負けて部屋から出そうになることもあった。

それでも、自分で決めた1週間が経つまでは、歯を食いしばって耐えた。

何とか目標の”1週間ひきこもり”を達成した時は、まずコンビニへ行った。店員と話したことは、”マイセンライト2つ”と、”どうも!”の2言だけだったが、会話に飢えた私には、それだけで十分に満足だった。

その後、実験の反動で、友人の家に行ったり、電話をかけまくったりしたことは言うまでもない。

あの時だから出来た実験だが、何ともアホなことをしたものだと思う。

ただ、実験をしたおかげで、誰とも話せないことは、どんなことよりも辛いということが分かった。

おそらく、今まで私が経験した中での一番の苦行。

今の生活では、絶対に不可能だろうけど、もうやりたくはない。


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