出雲國神仏霊場 自転車遍路(第一弾)二日目

カテゴリ
 BICYCLE
開催日
2015年05月22日() ~ 2015年05月23日()

【起床】

IMG_3074眠りの質が良かったからであろう。午前5時に起床した。アホの末も御変り君も、ほぼ同時の起床だった。

アホの末は、だいぶ体力が回復したような感じも見受けられたが、それでもやはり前日の疲れを残しているようだった。御変り君はというと。相変わらずだった。

「よう寝れたか?」の私の問いに、「ぐっすり眠れました。」という、野宿初心者とは思えない御変り君の返事。こいつのことを気にかけた私がバカだった。

週間天気予報によると、この日から天気は崩れるとのことだった。空を見ると、前日とは違い、白んだ空だった。その空の色から、空気中の水蒸気の多さが窺われた。天気予報は成就しそうに思えた。

IMG_3076午前7時くらいに出発出来れば良いと思ったが、アホの末は、「出来るだけ早く出発しよう。」と言う。

おそらく、体力に自信がないため、“走る時間が多くあった方が良い。”と、思ったのだろう。私は、主役の言うことに素直に従うことにした。

朝食なり、朝のお勤めなり、出るための支度を終えた私達は、お世話になった東屋を後にした。

【後悔の念】

IMG_3218東屋から公園内の道に下りた私達は、一旦、道を上った先にある体育館の方に戻ろうとした。「また登ってくのは面倒臭いのぉ。」と、声に出した時である。道を下りきったところに出入口のようなものを見付けたのである。そこは、東屋を下りた道から70mくらいしか離れてなかった。

“もしや!”と、思い、そこへ行ってみた。それは、やはり公園の出入口であった。まず、私の中に去来したのが、“これでまた登らずに済む!”という安堵感だった。次に去来したのが、“もっとよく調べておけば!”という後悔の念であった。こちらの方がパワフルであったため、後悔の念が去来したと同時に、最初に去来した安堵感は、見事に打ち消されてしまった。

東屋から最短の距離である、この出入口から入っていれば、わざわざ遠回りをして上り坂を登る必要もなかったのだ。

公道から東屋までは、この出入口から真っ直ぐ行けば最短である。だが、前日に私達の通ったルートは、公園の外周をグルっと回って頂上まで登りきり、そこから下りてきた最も遠回りのルートだった。

その差は上りで600m、下りで400m、合計で1㎞の差があった。下りはともかく、上りの600mの差は大きい。

不必要なことを多大なる労力を費やしてやったかと思うと、後悔の念は益々強くなった。この思いは、どうやっても消せるものではなかった。

いっそのこと、この出入口を見付けなければ良かったと思うことしきりだった。

【道草】

IMG_3077江津中央公園から本道である国道9号線に戻り、500mほど走ったところで、アホの末が左に舵を切った。どうやら飲み水を購入するためにコンビニに寄ったみたいであった。

前日、購入した2Lの3本の水は、既に飲み干していたため、ここで2Lの2本の水を購入した。この4kgの水を背負うのは、前日に続き私の仕事であった。力持ちの私にはうってつけの仕事である。

“さあ、出発しようか。”という時にアホの末が言った。「後どうなるか分からんから、行けるだけ行こう。」と。

前日の疲れが残ったこいつから、そのような強気な発言があるとは驚きであった。“行けるうちになるべく距離を稼いでおきたい。”と思っていた私にとって、その発言は有難かった。

私は喜んで、主役の発言に甘えることにした。

時刻は、午前6時40分過ぎ。悲願の出雲大社を目指して私達は出発した。

【グッジョブ】

IMG_3229アホの末は疲れていた。それは、走り方で分かった。それも無理はない。わずか5~6時間の睡眠で十分に体力が回復するはずもなかった。それは、私も同じだった。体力的には問題ないものの、久々に細くて硬いサドルに長時間跨ったため、ケツが痛かった。

前日にはそのことが気にならなかった。だが、何時間か自転車から離れて、ケツの筋肉が固くなったからか、そのことが気になるようになっていた。

走ることに集中し、じっくりとペダルを踏み続けるアホの末に対し、私は落ち着きが無かった。サドルからケツを浮かせたり、ケツをサドルの左右にずらしたりして、痛みを紛らわせていた。

御変り君はというと、相変わらずだった。純粋に走ることを楽しんでいた。

予想に反してアホの末は、止まることをしなかった。黙々と走り続けた。「そろそろ止まりたい。」と思うのは私だけだった。

走った距離は5㎞を越え、10㎞を越えた。それでもアホの末は、止まらなかった。スピードは、遅かった。それでも、休まずに進み続けているだけに、着実に距離を稼いでいた。

IMG_3231アホの末は、走ることに完全に没頭していた。勢いは、このままゴールの出雲大社まで行ってしまうほどのものだった。

そのような快進撃を続ける私達の前に、温泉津・仁摩に続く上り坂が現れた。長く続く結構な勾配の上り坂である。さすがにアホの末は、“この上り坂の手前で休憩をするであろう。”と、私は予想した。

しかし、そうはならなかったのである。

予想を裏切り、アホの末は休むことなく、そのまま上り坂に突入して行ったのだ。「どこまで行くのだろう。」と、思った。

温泉津か仁摩か、それとももっと先か。

それは、アホの末のみぞ知ることだった。温泉津に着いても、アホの末が自転車を降りることはなかった。

ケツが痛くて、既に自転車に乗る集中力を欠いた私は、「くっそぉ~」と思いながら、アホの末に従い、走ることを続けた。

仁摩のトンネルを抜け、現在は太田市である仁摩に入っても、アホの末は走り続けた。私は既に気持ちが切れ切れであった。

「一体、どこまで行くんやろう?」と、常に思い続けていた。

その長い長い走りも、ようやく終わりを迎える時が来た。仁摩の街中に入り、某コンビニの前でハンドルを左に切ったのである。

何度も寄ったことのある、私には馴染みのコンビニだった。江津市内のコンビニからこのコンビにまで約28㎞を走っていた。時間にして1時間半。遅いと思いながらも、中々のペースだった。

IMG_3079アホの末は、コンビニの駐車場で大の字になることはなかったが、かなり体力を消耗しているようだった。しばらく座ったまま下を向いてうなだれていた。

私もかなりケツが消耗していたようで、痛みのあまりケツの感覚をしばらくは失っていた。

有難いような有難迷惑のようなアホの末の頑張りだったが、こいつの頑張りのおかげで出雲大社まで残り50㎞となった。しかも、この時の時刻は午前8時10分過ぎ。残りの距離を考えると、“もしかすると昼過ぎくらいには出雲大社に到着できるのでは?”とも思った。

こいつの残りの体力と私のケツの消耗度から考慮すると、例えそれが無理だったとしても、この日に出雲大社に到着出切ることが、これで確実となった。

珍しくというか、初めてアホの末が良い仕事をした。褒めてやると、つけあがるので、心の中で褒めてやることにした。

“グッジョブ!”と。

【欲】

IMG_3082この日のうちに出雲大社まで到着することが現実味をおびた、この時、次なる目標は極力早く出雲大社に到着するということだった。

昼過ぎまでに到着出来れば、午後2時か4時の萩行きの電車に乗ることが出来る。そうすれば、もう一泊する必要はなくなるからだ。

この日と、その翌日は雨が降ることが予想されており、出来れば野宿をしたくないと考えていたので、是非ともその目標を達成したいと思った。

アホの末の頑張りのおかげで、欲が出ていた。

自転車に跨りたくないと思った。それはアホの末も同じであろう。でも、自転車に跨らなければ、先に行くことは出来ない。

私はケツをさすりながら、アホの末は消耗した体に鞭を打ちながら、自転車に跨った。御変り君はというと、既に自転車に跨って私達が走り出すのを待っていた。

こいつには、疲れというものが微塵も感じられなかった。ただ、ワクワクしているだけのように見えた。その活き活きとした姿は、私達の中では浮いていた。

【人参】

IMG_3246私達は、かいた汗が乾かないうちにコンビニを出発した。汗が乾ききって、体が冷えてしまうと、体が硬直するからだ。硬直すると、体が動かなくなる。体が動かなくなると、余計に体力を消耗してしまう。

私達のとった行動は正しかった。思ったより体がスムーズに動いたのだ。それと、“電車に間に合わせなければならない。”という新たな目標が、私達の背中を後押ししていた。

故に、“ケツが痛い。”ということを、私は意識の傍らに置くことが出来ていた。アホの末もおそらくそうだったのではなかろうか。それが証拠に、走るペースは仁摩のコンビニまで行った時よりも速くなっていた。

この時私は思った。“人間は目標があると変わるな。”と。私達が今回行なうのは、足掛け3~4年をかけて行なう出雲の霊場巡礼だ。その目的は、アホの末の失ったものを神様に授けてもらうということである。

その目的というものは、余程のことがない限り、変わることはない。それに対して目標は、巡礼を行なう最中に、その都度その都度出て来る、もしくは設定するものである。変わることも有り得る。

IMG_2973また、目的の達成の設定が、年単位なのに対し、目標は目先のことだ。小さい目標の達成の積み重ねが目的の達成に繋がるので、目標の達成は重要なことである。仮に目標を達成しなかったとしても、目的の達成は出来る。ただ、目的までスムーズに到達するには、目標の達成は必要である。

この時、出来たばかりの目標は、昼までに出雲大社に到着して、JRの2時便か4時便で萩に帰るというものである。その目標が達成出来なくても、目的の達成には全く影響は無い。だが、この日に萩に帰るのと、次の日に帰るのでは、“休息する。”という意義においては、天と地ほどの差がでる。おまけにこの日から天気が崩れるという事象も、“早く行かなければ!”という気持ちに火を着けたのだ。

私達は、目の前に人参をぶらさげた馬だった。何が何でも、目の前の人参を食ってやろうと思っていた。

【寄り道】

仁摩のコンビニから10㎞以上は走った時のことである。太田市内でのことだ。順調にペダルを踏み続けていたアホの末の足が止まったのである。

何をするかと思いきや、国道9号線を反対車線側に渡り始めたのだ。国道の反対車線側にあったもの。それは、某牛丼のチェーン店であった。

IMG_3084“ここで朝定食を食べる。”と言う。“腹が減ったから。”だとも言う。“せっかく、走ることにのめり込んでいたのに、何でこんなところで止まるんかいや!”と、思った。

だが、主役であるアホの末がそうしたいのなら仕方がない。文句は、言えない。御変り君は、アホの末の食うのを横で見ていて、そこから動く気配は無かった。やむを得ず、私だけは外で待った。

その間、私は繰り返し繰り返し心の中で呟いていた。「時間が勿体ねぇ!」と。「何で、さっきのコンビニで腹ごしらえを済ませておかなかったのか!」と。

そんな私の不満を知らないアホの末は、店に入ってから15分後くらいにようやく店から出てきた。

満たされた表情をしていた。そして、「納豆を食いたかったんよ。」と、呟いた。それを見て思った。“こいつが満足出来たんなら良かった。”と。

IMG_3083途中でこいつがハンガーノックに陥って、足止めを喰らうよりは、少し時間は掛かっても、エネルギー補給をしてからの方がかえって速く進める。おまけに、満足感を得ることが出来たのなら、モチベーションの向上にも繋がる。

“損して得とれ。”という表現が適当なのかは分からないが、牛丼屋に寄ったおかげで、おそらくプラスの結果になるだろうと感じた。

これまでの私なら、そう感じることは出来なかったに違いない。ただ、腹を立てていただけだろう。そう感じることが出来るようになったということは、別の角度から、物事を眺められるようになったという証であった。

少し成長したような気がした。ただし、こいつが、「不味かった!」とか、「入らなければ良かった!」とかのネガティブな言葉を吐いていたら、文句を言ったに違いなかった。

【珍百景】

某牛丼屋を出発した私達は、きらら多岐の道の駅を目指した。市内を抜け、太田市郊外に出ると、道は真っ直ぐになった。遥か先まで続く道。田んぼや畑の中を真っ直ぐ貫く道は、北海道の何㎞も続くような真っ直ぐな道を連想させた。

歩道は、進行方向の反対側に途切れ途切れにあるぐらいだった。進行方向には、歩道は無く、路側帯しか無かった。私達は迷うことなく、路側帯を走ることを選択した。

何故なら、歩道を走っていては、走るスピードが遅くなるからだ。そのため、すぐ真横を高速で走り抜けるクルマ対策として、なるべく路側帯の左端を走ることにした。それまでよりも慎重に走るようにもした。ただ、周りの景色が雄大なため、大刈トンネルのような圧迫感はなかった。

私は、左側に広がる景色を見ながら思った。ここを通る度に、いつも思うのだが。田んぼの中に山がポツリポツリと点在する景色が異様なのだ。それは、山というよりも田んぼに浮かんだ島と形容したくなるものだった。

その中でも、最も興味をそそられるのが、その景色の終盤にある山だった。斧で垂直にかち割ったかのように山の左端が割れているのである。山の本体部分と、割れた左端部分の間は、数十mくらいの距離はあるが、もともとは引っ付いた一つの山であることは間違いなかった。

はるか昔、この山をかち割るほどの急激な事象があったことは間違いなかった。それが、地震か地殻変動か、それとも隕石の衝突か。そのような想像を掻き立てられるだけの魅力的な形の山だった。

あまりそちらの方に気を取られていると、足元がおぼつかなくなりそうだったので、想像もそこそこに切り上げた。

IMG_2972長い長いストレートを抜けると、今度は登坂車線のある長い上り坂を登るようになる。この道を登りきって下れば、もう出雲市である。終盤のここまで来て思うのは、海岸沿いの道よりも山の中の道が多いということであった。実際に印象に残るようなキツい上り坂は少なかったものの、ここまでは、かなりの数の上り坂を登ってきていた。

何十回と通ったこの道のことは分かりきっていた。故に、これが最後の本格的な上り坂ということも分かっていた。

“ここを登りきれば、あとはチョろいもんだ。”と思い、覚悟を決めた。

【ガス欠】

IMG_2976勢いは、あった。ただ、前半で頑張り過ぎたからか、アホの末はガス欠気味だった。これまでとは走りが違うということが見てとれた。既に体力の消耗度は、こいつの気力を凌駕していたのかもしれない。その姿は、後ろから見ていて、痛々しかった。

アホの末は、ひたすら下を向いて登り続けた。自転車の速度は、おそらく5~6㎞ぐらいしか出てなかったのではないかと思う。早歩きくらいの速度だ。

これくらいの速度であれば、自転車を降りてから歩いた方が楽だとは思うのだが、アホの末が、それをすることはなかった。

それをすると、気力が萎えて、再び自転車に跨ることが難しいと思ったのだろう。確かにそれが正解だと思った。上り坂が終わって、この先に難所は無いにしろ、まだまだ走る必要があるのだから。

下を向いてしか走れないアホの末の目には、周りの景色は入らなかったことだろう。勿体ないことだが、仕方のないことであった。

御変り君はというと、周りをキョロキョロ見ながら走っていた。目に映るもの全てが新鮮だったのだろう。体力の有る無しで、これだけ出来ることが違うのである。体力が有ることは素晴しいことだと思った。

この時の体力の消耗度は、アホの末が90%、私が30%、御変り君が3%くらいだった。

多分、おそらく。

【頂】

頂と思ったら、少し下るか、もしくはそのまま平行に走って、また登るという繰り返しだった。なかなか頂は見えなかった。

アホの末は相変わらず、力無くペダルを踏むという作業を繰り返していた。私は、大量に出た鼻水が口の中に溜まるため、さかんに横に向かって唾を吐いていた。

私のすぐ後ろを走る御変り君は、“ヤバい!”と思ったのだろう。そのため、いつもより車間距離を多く空けていた。返り血ならぬ返り唾を浴びないようにする賢明な策であった。

何回、登っては、また登るということを繰り返しただろうか。そろそろその作業に飽きそうになった時に、急に終わりが来た。

てっぺんに辿り着いたのである。そこから下に延々と続く下り坂を見る限り、それは間違いなかった。

IMG_2979頂に辿り着くなり、アホの末は自転車を降り、歩道の上に大の字になった。体力を使い尽くしたようだった。「ゼエゼエ、ハアハア」と、荒く息を吐くだけで、しばらくは会話が出来なかった。会話が出来るようになるまでは、5分ほど要した。

開口一番に吐いた言葉は、「ちょっと休もう!」であった。確かに、この時のこいつは、消耗度95%くらいまでに消耗していたから、少し休んで幾らか体力を回復させる必要があった。

いくら先を急いでいても、全てはこいつ次第なので、誰も休憩することに異論を唱える者はいなかった。逆に先のことを考慮すると、“ここで休憩すべきだ。”と、思った。

【水魚】

しばらくアホの末は、歩道の上に大の字になったままだった。この格好で休憩することが、体力を早く回復させるのかもしれない。

意外にも早く、アホの末は起き上がった。どのくらい回復したかは分からないが、顔には幾らか生気が戻っていた。

IMG_3249ここからは、海岸までずっと下りが続く。再び自転車に跨った私達は、重力に引っ張られるに任せた。上り坂の10倍近くは速度が出る。下りでのアホの末は、水を得た魚であった。

下る速度が速いのだ。上り坂の時とは、別人に見えるほどだった。ここで必要なのは、体力ではない。ブレーキコントロールと、車体コントロールなのだ。

下りにはトラウマが有り、速度を出すことに自信の無い私は、最後尾をトロトロと走った。前の二人は、あっという間に視界から消えた。二人が、視界から消えても焦ることはなかった。どうせ下りきったところで待っているだろうと思ったからだ。

案の定、二人は、下りきったところにある海岸線を、後から来る私を待つかのようにトロトロと歩くぐらいの速度で

走っていた。

合流した私達は、次なる休憩ポイントである“きらら多岐の道の駅”に急いだ。

【観光】

IMG_3086下り坂を下りきったところの海岸は田儀海水浴場だった。ここから“きらら多岐の道の駅”までは、6㎞くらいの距離である。上り坂もないので、大したことはない。すぐに到着出来るものと思われた。

しかしである。田儀海水浴場から1㎞走った辺りで、アホの末はいきなり舵を左にきったのである。これには、面食らった。何をするかと思いきや、観光であった。

そこは、砲台跡地であった。江戸時代の砲台やその詰所を復元したものである。復元したものには興味は無かったが、そこからの景色は、止まって見るだけの価値はあった。

すぐ下には、美しい海岸、遥か向こうには“きらら多岐の道の駅”が見えた。先を急ぐ身ではあっても、こういうことも大事だと思った。

IMG_3087急ぐだけでは、旅は味気ないものになるからだ。金と時間を費やすからには、楽しむということを怠ってはならない。

アホの末が、ここに寄ったということは、楽しむだけの心の余裕が出来たからに違いなかった。心の余裕が出来たということは、体力も幾らか復活したということだ。

アホの末も出雲大社が近いということを分かっていたのだろう。故に身も心も引き締まっていたに違いない。その変わり様には驚かされた。ここでも、アホの末の覚悟を垣間見ることが出来た。

神様に会うための準備はバッチリなように見えた。

【調整】

IMG_3095観光を終えた私達は、“きらら多岐道の駅”を目指した。この道の駅は、海岸線の遥か先に小さく見える。そこまでは、ただひたすら真っ直ぐ行くだけである。

ここへ来るまでに私達を苦しめた幾多のアップダウンは、もう存在しない。ただ、走るだけであった。

走りを再開してから道の駅には、15分ほどで到着することが出来た。“きらら多岐”は、ど派手な洋風の建物が特徴の道の駅だ。

ここで行なうことは、神様に会う前に心身の状態を整えることであった。姿勢を正すと言い替えても良い。ネガティブな考えを捨て、心の中を真っ白にするのだ。

神の御使いである御変り君は別として、俗世間の垢で汚れきった私達に完璧にそうすることは無理だった。でも、出来る限りは姿勢を正したつもりでいた。これから神様に会ってお願いをするのに粗相があってはならないからだ。

IMG_3090トイレに行って、腹ごしらえをした私は準備万端だった。アホの末は既に出来上がっていた。御変り君はというと、久々の出雲大社ということで浮き足立っていた。

このようなことで、私達をきちんと神様のところまで案内出来るか心配になったが、全ては神の御使いである御変り君にかかっていた。神様のことを何も知らない私達にとって、頼みの綱は、御変り君だけなのだ。

“きらら多岐道の駅”から、出雲大社までの距離は、17㎞である。どんなにゆっくり走っても1時間もあれば到着出来る距離だ。

この時、時刻は午前11時前。昼までに出雲大社に到着するという目標達成の目途は立った。残るは、一番大切な目的である神様との面会であった。

【禊】

IMG_3276“きらら多岐道の駅”を出発した私達は、国道9号線を真っ直ぐ行くことなく、左折して海岸線を通る道を進んだ。理由は簡単だ。分岐点に設置されている看板に「左折の方が近道。」と、表示されていたからである。

海岸線の道は、半島の先端まで伸びている。左手には日本海の青い海、上には白い空、右手には緑の山々が広がる。その中を私達は、駆けて行く。時々、民家が現れるが、基本的には海と空と山だけである。

時にそよそよと、時にブワーッと潮風が吹きつける。まるで、私達を浄化するかのように。不思議なことに、潮風の匂いは、詰った私の鼻にもよく届いた。更に不思議なことに、青と白と緑の単調な景色の中を走っていると、“考える”ということをしなくなる。考えるのが面倒臭いというのではなく、自然とそうなるのだ。これは、色の効果というか、自然が成す不思議であった。

考えることをしないというのは、無の境地だ。無の境地になるということは、心が真っ白になっているということだ。

IMG_2989私達は、知らず知らずのうちに浄化されていたのだ。これが、クルマでの移動ならば、決して浄化されることはなかったであろう。また、国道9号線を通っていたとしても、同じであっただろう。

己の肉体を酷使したから浄化されたのである。この景色の中だから浄化されたのである。

私達は、こうなるべくしてこちらに誘導されたのかもしれなかった。私達をここへ誘ったのは、出雲大社の神様か、それとも御変り君か。

いずれにせよ、これは、私達を浄化するための禊であった。

【到着】

IMG_3002無心でペダルを踏み続けること1時間。ようやく私達は、出雲大社に続く参道入口にある大鳥居をくぐることが出来た。出雲大社に到着したのだ。私達は、ここまでの道程での禊で完全に浄化されていた。

出雲大社に来てまず、驚いたことは、参道の変わり様だった。出雲大社に来るのは、2年ぶりだった。その2年の間に参道脇にある店舗が殆どと言い切ってよいほど、変わっていたのだ。

古い店はことごとく無くなっており、お洒落な新しい店に変わっていた。私が慣れ親しんだ古い食堂は、某有名コーヒーのチェーン店になっていた。レストランも出来ていたし、団子屋やラーメン屋まで出来ていた。

私の記憶にあるものとは、全く別物に生まれ変わっていた。かつてのような風情は無く、違和感を覚えたが、これが現実だった。

残念ながら、出雲大社の参道は、どこにでもある観光地の商店街になっていた。

【礼】

IMG_3096私達は、出雲大社の境内の奥にある駐車場に自転車を停めた。

疲れたとか、ケツが痛いとかいう感情は二の次、三の次であった。ここで、私達がまずやるべきことは、神様との面会であった。

出雲大社の境内の奥に自転車を停めたアホの末と私は、そのまま出雲大社の裏手から拝殿・本殿に行こうとした。この方が、そこへ行くには近いと思ったからだ。何も知らない奴のやりそうなことだった。

そこで、御変り君の「待った!」がかかった。「拝殿・本殿に行くのは、きちんと入口から行きましょう。神様に失礼ですよ。」と。

IMG_3098確かにそうだった。誰かの家を訪ねる時は、裏口ではなく玄関から入るはずだ。神社でも同じことが言える。また、神様にお願い事をするのなら、尚更、失礼のないようにしなければならない。

反省した私達は、一旦、境内の外へ出てから入口へと向かった。駐車場から入口までは、距離がある。歩くと5~6分はかかる。

のらりくらりと歩いてようやく辿り着いたのが、出雲大社の正面玄関である鳥居だった。

鳥居から拝殿までは、真っ直ぐの道が伸びる。まずは、石畳の道を歩く。道の真ん中は、神様が通る道なので、道の端を歩く。神様にお願いをするには、こういうところも気を付けなければならない。

IMG_3100石畳の道が終わると、今度は玉砂利の道になる。ここでも真ん中を通らないように端の石畳の道を歩く。そこを200mほど行ったところに身を清める手水舎があった。

そこでもきちんとした作法に乗っ取って手と口を清めた。よく「こんなの面倒臭い!」という奴がいるが、そういう奴らには言いたい。「お前ら、一体ここに何をしに来ているのだ。」と。神様をお参りに、神様にお願いに来ているのなら、丁重に丁重に行動すべきである。神様に礼を尽くさないのなら、来ない方が良いのだ。

多分、私達はぎこちないながらも、やることはきちんとやっていた。・・はず。神の御使いである御変り君からは何も言われることは無かったので、一応は「大丈夫だろう。」と、安心していた。

【拝殿】

IMG_3104手水舎から拝殿はすぐだった。御変り君にとっては、ここまでは大した道程ではなかったかもしれない。でも、私達には大した道程であった。御変り君のとりあえずの使命達成はもうすぐだった。

拝殿は、その名のとおり、神様を拝むための建物だ。本殿の前に設置されてはいるが、本殿とは違う。よって、神様は、ここにはおられない。神様は本殿におられるのだ。

しかし、神社へ行ったらまずは拝殿で拝むというのが鉄則である。故に私達もまずは、“神様に会う”という目的の前にここで拝むことにした。

IMG_3106拝む前に御変り君の言ったことを思い出していた。何年か前に一人でここを訪れた御変り君は、ここの神様に良縁を授けてくれるようお願いをしたという。後日、そのお参りのお陰もあって、今の奥さんと巡り合い、結婚まで至ったという。それだけ、ここの神様のご神威は絶大なのである。

ただし、願いごとが叶ったというのは、ものすごく稀なことではないかと思う。それは、御変り君の心からの純粋な願いであったからではないか。要するに、御変り君は、ここでお願いをした時に、その願いを叶えてもらう代わりに使命を授かったのだと思う。

私達のような困った人を神様のところへ導くという使命を。こいつは、間違いなくこれから多くの人を救うはずである。

さて、アホの末はというと、手を合わせて目をつむっていた。その姿からは、真剣さが感じられた。切羽詰った状況をどうにかしたいとの熱意が、私にもビンビンと伝わってきた。

10年前の四国八十八ヶ所遍路の時は、どこの寺へ行っても適当にお参りを済ませていたのに。あの時とは、大違いだった。こいつもいろいろとあったせいか、幾らか謙虚になったようだった。

そして、私はというと。いつもと同じく「ここまで無事に来させていただきありがとうございます。」と、心の中でお礼を述べるだけだった。

私は、これまで神様にお願いごとをしたことは一度しかない。それは、病気で死にそうになった時だけだ。

IMG_3123それ以来は一度もない。神様に対する考えを改めたからだ。神様は、人の願いを叶える便利屋のようなものではない。また、人格のある人間のような存在でもない。神の存在に対する確固たる答えは無い。無いが、あえて例えるなら神とは、自然そのもの。この宇宙そのもの。生きとし生けるもの全てではないかと勝手に思い込んでいる。

“生けるもの全て”というからには、その中には自分も入っている。自分の中にも神ともいうべき尊いものがある。

考えてみれば、よく神社の拝殿や本殿には、鏡が置かれている。私達は、それに映る自分を拝んでいる。自分の中の神を拝んでいるとも言える。寺でもそうだ。本堂に置かれている観音菩薩像などは、手を合わせている。あれは、拝む人を拝んでいるのだ。拝んでいる人の中の仏を拝んでいるとも言える。

故に、私達の中の神や仏とは、“命”なのではないかと思う。それ以上に尊いものはないからだ。生けるもの全てが“命”で繋がっていることを思うと、それも頷ける。

IMG_3112そうすると、私達も神であり仏であることになる。神や仏という大昔の誰かが作った言葉や概念が、私達に相応しいかどうかというのは兎も角、命のある私達は、神や仏のような無限の可能性を秘めた存在であることは間違いない。

神様にお願いするというのは、自分自身にお願いするようなものだ。願いが叶うというのは、結果を自分で引き寄せただけのことである。無限の可能性がある私達には、それぐらい朝飯前なのだから。

ただ、そう考えつつも、この出雲大社には、私達の中の神=命を覚醒させるだけの超常的な何かがあるような気もした。

それが証拠に、アホの末の顔から陰りが幾分か消えたような気がしたのだ。それは、決して錯覚ではなかった。

【成就】

IMG_3108本殿は、拝殿のすぐ裏にある。お賽銭を入れようとお金を投げると、賽銭箱に当って下に落ちた。もう一度投げても賽銭箱に入ることはなかった。三度目にしてようやく賽銭箱の中に入ったのだった。

アホの末は、「不吉な!」などと、騒いでいたが、私はそのことを深く考えないようにした。

私達は、ようやく出雲大社の本殿に辿り着けたのである。無事にここまで来れたことを神様と神の御使いである御変り君に感謝した。そして、無事に生きられていることも。

普段は、感謝の気持ちをあまりいだくことのない私が、こんなにも感謝の気持ちを抱くとは不思議であった。私も少しは変わったのである。変わったということは、これで寿命が少し延びたということを意味していた。

IMG_3120アホの末に付き合っただけのつもりが、ちゃっかり私もご利益を得ていた。ここまで“アホの末を観察する。”という今回の私の役目はとりあえず終わった。御変り君も私達を無事にここまで導いたことで、今回の役割を終えていた。

あとは、アホの末であった。

アホの末は、一心不乱に手を合わせていた。その姿のどこにもいい加減さは感じられなかった。祈る姿は、真剣そのものだった。

神様は、心の底より心身の健康の復活を願うこいつを見てどう思ったことだろう。

私は思った。「こいつは、変わったな。」と。大体、これまでのこいつなら、「出雲大社に行こう。」なんて絶対に言わなかったはずだ。絶対ないはずの出雲大社に行くと言った時点で、こいつは変わっているのだ。

IMG_3121その時点で変わっているのだから、極端なことを言えば、出雲大社に来る必要はなかった。

前述した私の考えとも大体の意味が重なるのだが、仏教に“悉有仏性”という言葉がある。全てのものには仏性があるという意味だ。仏を神にも言い替えれる。全てのものに神が宿るのなら、どこで神に手を合わせても良いのだ。せめて地元の神社ぐらいで、わざわざ遠い出雲大社まで来る必要はなかった。

ただ、そう言ってしまうと、旅に出るきっかけが無くなってしまう。ここへ来るまでに汗水垂らして、身を削ってきた行為を自ら否定するようにもなる。

だから、アホの末が、どれだけ真剣か。“その真剣さを計るには、必要な過程だったのだ!”と、考えることにした。

こいつの真剣さは、私の心に痛いほどよく届いた。こいつの変わり様もよく分かった。こいつの願いは、“こいつの中の神様によく届いただろう。”とも思った。

IMG_3117そして、この時ようやく悟った。「こいつは、何も失ってはいない。」と。「変わる途中なのだ。」と。

昆虫に例えれば“脱皮”する途中なのだ。完全体ではないから、心身の調子が良いはずが無いのだ。本人は、そのことに気付いてない。気付いてないから不安なのだろう。そのことさえ分かれば、心配することはないのだ。

だが、こいつの今の状態は、脱皮の途中である。不完全な状態だ。無防備で、外部からの刺激には弱い。故に油断は禁物である。

脱皮状態を卒業する鍵は、“謙虚さ”と“柔軟さ”だ。これらのものがあれば、目の前の世界は広がる。世界が広がれば、可能性も広がる。人間の誰しもが本来持っている無限の能力を発揮するには、絶対必要なものだ。

人間は、変わらなければ生きてゆけない。幼稚園児のままの思考回路では、人間社会を生き抜けないことを思うと、それも納得だろう。

人は、人に変えられもするし、自ら自分を変えもする。こいつの場合は、後者だ。こいつは、自ら変わろうとしている。知ってか知らずか、酷な方を選んだのはこいつらしい。

私は、こいつが今回の脱皮を成し遂げて完全体になることを信じている。そうなれば、こいつのアホさも愚かさも倍増するけど、それでも完全体になってもらいたいと思っている。

IMG_3110アホの末に今の状態を聞くと、「今の状態は、元の状態の60~70%ぐらい。」などと、いつも元の状態と比較して、今の状態を表現している。

私に言わせれば、脱皮しかけている今、元の状態になど戻せっこないし、また、戻す必要もない。

完全体になることが出来たのなら、元の何十倍もストロング且つグレイトになれるのだから。

こいつは、無理に行なわなくても良い今回の旅で、確実にそうなるための足掛かりを築いていたように思えた。準備にぬかりはないようだった。

【旅を終えて】

IMG_3293御変わり君は、アメージングな奴である。

この世には、60億人以上の人間がおり、一人一人が異なる個性を持っている。一人一人が尊く、神とも表現出来るほどの無限の可能性を秘めた存在だ。ただ、御変わり君ほど、自分の中の神というか神性を表に顕現させている人間というのは、絶望的にいない。御変わり君は、貴重な絶滅危惧種である。

こいつのような人間は、多分、この世に12人しかいないと思う。

“12人”という数字は、キリストの12使徒の“12”、イスラエル12支族の“12”という数字を根拠としている。神の御使いである御変わり君は、まさしく現代の12使徒である。

心身の不調から、どん底に落ちたアホの末が、引き寄せたのが御変わり君だ。アホの末の変わり様をサポートするために御変わり君は来たのだが、引き寄せたアホの末は、そのことに気付いてないし、引き寄せられた御変わり君もそのことに気付いてない。

客観的に見ていると、そのことが実に良く分かる。

御変り君の持つ究極の「陽」、「ポジティブ」「バカ」といった三種の神器は、関わる者を変える絶大な力を持つ。その力は、自ら変わろうとするアホの末を強力に後押しし、客観者であるはずの私まで変えてしまった。

IMG_3311アホの末は、自らの力と御変り君の力添えで、間違いなく完全体になるであろうし、この私も人間性を向上させる階段を少しづつではあるが、登ることになるであろう。

私達には、もう「神様にお願いする。」という目的は不要である。次回からは、“気づき”ということが旅の目的になる。己と向き合い、“気づく”ことで、己を改革していくのだ。

旅の中で、人生における肝心なことに気づき、変わり始めた私達の未来は明るい。

私達の新たな人生の始まりである。

開催状況
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【why?】

何のためにこんな所に砲台を作ったのだろうか?

 

 

 

 IMG_2988 【果て無く続く】

果て無く続く海沿いの道。景色は良いが、あまりにも同じ景色が長く続くので、さすがに飽きる。

 

 

 

 

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【和み】

道端に咲く野花。その可憐さは、連日の強行軍で打ちひしがれた私達の心を和ませた。

 

 

 

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【仕事の後】

神様にお願いするという大仕事を無事に成し遂げ、お守りを購入するアホの末。変わり始めているのだから、もう、そんなもの必要なかろうに。まあ、保険のようなものか。

 

 

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【地鶏】

地鶏ではなく、自撮り。出雲大社へ来た記念にツーショット。漢塾は、どんな時も茶目っ気を忘れない。

 

 

 

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【未来予想図】

出雲大社参道の飯屋で、飯を食っていると、見慣れた顔が入って来た。塾生のぢよん○○である。出雲大社で会うということだけでも、すごい確率なのに、飯屋で同じ時間帯に会うという確率は、天文学的な確率に跳ね上がる。おそらく、宝クジで当たるよりも低い確率なのではないか。

ぢよん○○は、二人で来ていた。彼女だとのことだ。私には二人の未来が見えた。

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【名物】

御変り君が注文した、出雲名物の出雲そば。そばタレの中には、ワサビではなく、紅葉おろしを入れるようになっている。私は、ワサビの方が好きだ。

 

 

 

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【そのまま】

御変り君が、「出雲駅までは自転車をそのまま乗せることが出来る一畑電鉄で行きたい。」と言ったので、一畑電鉄に自転車共々乗ることに。一畑電鉄の電車には、自分の切符と自転車の分の切符を買えば、輪行バックに自転車を入れなくても、自転車をそのまま電車に載せることが出来る。 誰もが初めての経験であった。

 

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【独占】

電車の最後部に自転車を置くスペースがある。壁際から出たバンドで、自転車を動かないよう縛るようになっている。5台くらいしか自転車を置くスペースがない。この時は、私達以外に自転車を乗せる者はいなかった。

 

 

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【お別れ】

神の御使いの御変り君は、山口市に特急で帰るため、出雲駅でお別れ。コードネーム009の島村ジョー、キリストの12使徒など、私にグレイトなハンドルネームを付けさせた御変り君は、アメージングな奴だった。

正に我々のメシアだった。

 

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【完全燃焼】

出雲大社へ辿り着くために己の全てを使い尽くしたアホの末。完全体になるための足掛かりは作った。あとは、完全体になるべく進んで行くだけだ。

 

 

 

 

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【祝福】

今回の旅の成功を祝福してくれるかのような七色の夕日。次回の旅の成功を予兆しているかのようでもある。

 


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